嫌塊

カテゴリー: すみっこ

俺、やっぱまじで、村上春樹的世界が嫌いだってことは良く分かった。というか、文章が嫌いなのか、世界が嫌いなのか、微妙なところで、多分文章だ。いや、それらはあまり分けられないから、やっぱ全体だ。

でも、村上春樹は最近全然読んでないからそれは実は定かじゃない、というか良く覚えていない。んだけど、それに似た文章ならよく見かけるんだ、そしてそういうのはたいてい大嫌いだ。もうなんだか、嫌いなものの塊みたいで、嫌いなものを選りすぐってつくられたような感じだ。

こんなに俺に嫌われるということは何か形を取っているということなんだろうけど。誰かに激しく嫌われるのは、まあいいことだと思う。尖っているということだし。

嫌う俺はどうかと思って、すごく嫌いになるってことはすごく好きになれるってことだろうか、と考える。

まあそう思う。好きなものだってたくさんある。でも嫌いなものも一杯だ。

この嫌いってのが吐き気に近かったりして、そういうのは俺の仮想敵になったりするんだろうか。そうかもしれないなー。最近そういう敵をもって生きてこなかったな。

敵というのは自分の姿をはっきりさせてくれるところがあるよね。だから敵に感謝をすることができる。

敵なんか、ほんとはいないんだけど、これなんてほんと、自分の中の出来事なんだけど。