逃避です。

カテゴリー: すみっこ

キーボードで書く小説は後何年続くかな。俺が生きている間には普通に言葉を喋ることによって、即入力されるようになるだろう。口述筆記、口伝、原始の世界がやっと実現される。

言葉に直接触れる経験。

もちろん今だって浮かんだ言葉をそのまま書くのだし、僕の手、僕の指は、要するに口になっているだけだ。手話と変わらない。僕はこれを読む人みんなに対して手話をしているといっていい。
だが口伝の世界とは違って、記憶容量に限界はないから、僕たちの小説はとりとめのない、もっと長く続く、おしゃべりになるかもしれない。語り口が気に入ればずっと聞いていられるような? 物語の構造から解放される、そうしたただの言葉。まあTwitterとそうかわらないか。
わからない。
僕らはいつも道具に縛られている。僕らは現実への接触を道具をとおして行っているからだ。

なぜこんなことを書いているかといえば、単に小説が滞っているから。iPad がやってきて、すごくおもしろくて週末を使ってしまった。それで今書いている小説世界への潜行が、少し浅くなった。ので、ぼんやりと物語の筋、構造、ということに付いてしか考えていなくて、そんなものは小説の本質じゃない。
小説の本質は、あまり人に対しておしゃべりのできない人間の独り言なのかもしれない。その独り言の世界ではたくさんの役者が出てきて、いろいろする。僕はそうやって世界を自分の内側に構築するし、それ自体を皆に届ける。その世界の骨格は物語だけれども、そのおうちを飾り付けるいろんな花や布や色、素材は言葉でできている。だからほとんどの人は言葉にしか触れてなくて、その下に亜るっように見える骨組みは見えない。
でもそんなものじゃない気もするし、よく分からない。身にまとう服のような物かもしれない。スカートとかズボンとか、着物とか、いろいろあって。

まあようわからんけど、物語は詩と違って、すべての人間に共有できるから、ある意味で世界言語だ。感動の構造は何千年も研究されてきて、皆に受け継がれている。ほとんど遺伝していると行っていいかもしれない。民族での好き嫌いはそれなりにあるようだけれども。
僕はあまり物語という言葉をうまく使えていない気はする。それだけでなく普通の言葉も。日本語も。
まああまり愚痴を言っていないで、小説を書け。書くしかないのです。よい小説を書くには書き続けるしかないのです。小説ばかりやる人生にしてしまったのですからね。