創作における《努力》

カテゴリー: すみっこ

努力を惜しみなくできるのが天才、という考えがあって、それが正しいかどうかはまあ置くとしても言葉の意味を考えると、これが小説などの創作活動にも当てはまるのかどうかよくわからない。

天才という言葉自体が芸術の領域にも当てはまるかどうかがそもそも分からないので(パフォーマンスの領域には入りそうだし、まあ結果として素晴らしい物はすべて天才と言えば何でも当てはまる。ただ自分にとって良い物かどうかの基準と天才って言葉はあんま関係ない。つまり、外部からの評価が天才という言葉にある。個人の内部ではあまり意味がない)、何とも言えないのだが、努力ってのは何か、小説においてはどんなことなのか、少し整理してもいいような気はする。

小説の作業は幾つかあって、書きたいことが思い浮かんでそれを書く、という幅の中に細かいことが入っていくんだけれど、例えば、そうだな困るところのことを書くと努力に近いかもしれない。努力ってのは嫌なことを頑張る、辛いことを頑張る、という感じで、小説を書くというのは楽しみがあり、充実があり、夢中があるので、何だかそぐわない感じなので。

小説書いてて困るのは、書きたくなくなる瞬間で、その書きたくなくなる瞬間というのは、大別すると自分の書いていることがとてもくだらなく思えたり、酷くつまらなく思えたりする「自信を無くす瞬間」と、物語の分岐点で「迷う瞬間」があると思う。前者はわかりやすいが、後者はどういうことかというと、どの道を採ってもあんまり良さそうじゃない、というように、袋小路の時だ。袋小路じゃなきゃ、迷わないから。前者は過去と現在に、後者は未来に、といってもいいかな。

で、努力はその時に発生して、そういう時に袋小路の先々にまで考えを及ぼして抜け道があるかどうか見に行くっていう、将棋的な努力になる。そして俺は将棋がとても不得意だ。オセロはけっこう得意だ。シミュレーションゲームはなかなか得意なんだが。リアルタイムなタイプが好きだ。

それはともかく。脳みそをごりっと使う感じでこれが何となく必要になってくると俺はゲームとかマンガに逃げる。でもそうすると絶対に進まないのも分かっているので、少しやると戻る。戻る、というか、やるんだけど、この《やれ》って言うのをやるのが努力。こういうときは頑張る感じがある。頑張って脳みそを動かす。

あと、小説内部のことよりは、生活の中で執筆をどう位置づけるかっていう面もあって、こちらの方が一般的には努力と言えるのかもしれない。つまり、俺は普通のサラリーマンをやっているから平日の九時間は会社に拘束され、残りも通勤などで諸々とられ、という中でどれだけがんばれるか、ということになる。

これは俺は足りないんじゃないかと思うところがある。もう少し、スッと執筆には入れないと、時間数が足りない。毎日二時間はやれるように頑張りたいのだが、実際平均的にはそれくらいやっているか疑問でもある。週末もそんなにやらないし。

その反面、ここ数年身につけたのは、短い時間だけ集中する技だ。行きのライナーと帰りのライナー(帰りはあんまりやらんけど)、んで家でねる直前、など、細切れの中で三十分から四十分集中する。そういうふうに自分が慣れてきた。それを毎日やっている。

でもその時間がもっと増えればなという思いがあって、で、なぜ増えないかというと、上のような幾つかの、書きたくなくなる瞬間、と、純粋な疲れ。

小説をやるのは楽しいけれど疲れる。それは事実なのに、いつだって上の《書きたくなくなる瞬間》というのは潜んでいる。そうじゃないときの小説の進み具合は激しいんだが、そうであるときは乳として、いあ遅遅として進まない。

その遅遅として進まないときに小説の世界に入ろうとするとすごく高いエネルギーが必要になってくる。それは一種の努力だ。いやいやいっているガキを引っぱって机につかせる感じだ。

執筆をするときというのはトランスをするときでもあって、トランスするためにはエネルギーが必要なのかもしれない。あるいは、トランス先に引き寄せられる、魅力が。

で、問題は、上のように書きたくない小説がダメな小説かというとそう言えるわけでもなく、逆に書きやすい小説がよい小説かというとそうでもないこともあるということだ。むしろ書きたくないものの方が、ある意味で俺にとって異質だったり、新たなものだったりして、まあ単純につまんないこともあるのだろうけれど、ちょっと価値が高いこともある。

いや、それでも一度書き始め、一度生まれた作品は俺を引き寄せる。完成させろと言い続けるから、やらないならそれだけずっとその囁きを聞くことになる。速く完成させたい。今のものも。

あ、そうだ、書きたくなくなる瞬間にはもう一つ種類があって、先が非常に長く思えるとき、というのもある。今の作品がそれに当てはまる。何だか思っているよりもずっと長くなりすぎそうに思えて、それをどうしたらいいか分からず、悩んでいるときとかがある。高い高い山に見えるのかもしれない。そんな先まで、やりたくないよ、と。速く解放されたい、と。

でもまあやるしかないのだが。ごりっと脳みそを回すような、そういう力を使うしかないのだが。そうしないといつまでも完成しないんだし。

あ、それだけじゃなく、それはやはり自分が考えていた量を超えているために「長すぎる」と思うわけでもある。つまり、その時点で失敗しているんじゃないか、というようなえが生まれる。そして失敗作だというように思い込む。

ふむ。

ところで、無理矢理いろいろ考えるってのは意識的な動作なのかな、それとも無意識的なそれなのかな。勝手に書けるときというのはほぼ無意識的だし、今のように色々書いているときも無意識的な感じがあるけれど、脳みそを回すときはどうだろう。分からないな。どっちかな。

ま、まとまらないけど、この色々書きたくないときに頑張って書くというのが、一つの努力だろう。後は、生活の中でどれだけ時間を振り向ける、というのも。どちらも頑張るのが努力するということではある。

ただし、別に頑張らなくても自分が喜んでやるという面もあって、それは努力と言えるか分からない。俺はその面がもっと大きくなるようにしたいんだけど、それがよい小説に繋がるかはこれも分からない。

うむ、よく分からん。

というか要するに最近は書きたくなくなる瞬間ばかりなのですよ…。

多分、ごりっと脳みそを回す、と表現している作業自体、あるいはトランスに入るという過程自体、についてたのしめるようになるというのも一つの解決なんだろうな。難しそうだが。

2010/08/09 23:57

スプレッドシートを作った。バイト、文字数、行数、ページ数、および概要やその日の活動などの記録。これならつけていきそうな気も…する。ま、忘れてもいいしね。

2010/08/10 00:18