小説を書いていて、基本的な欲望は、

カテゴリー: すみっこ

やはり書きたいということ。

書くこと自体が楽しいこともあれば、やなこともあるけれど。完成に至る道のりも、完成した時の喜びも、なかなか得られないものがある。特に長編は。短編はトランスして書くけど、それ自体がとてもいい。

んで、どうせならいいものを書きたい。自分で納得できるものを。だから、いい小説を書きたいというのが基本的な欲望だ。短編はあまりコントロールきかないので長編になるけど。

ここでいう「いい」というのは自分の中の基準を満たすということで、俺という読者にとって、でしかない。

問題はなかなか満足行くものは生み出せないことだ。なんというか、その作品の可能性は全部引き出せた場合でも、それが満足行くどうかは別問題だ。与えられた種を綺麗に咲かすのが執筆でそれが美しい花かどうかは別問題というか。

名作ってのはどうやって生まれるかよう分からんね。自分がいい母体になっていい種を得るしかないんだろうけど。(やはり、作品を生む、というのはどうも女性的な比喩になるな。母体になるとか。男性的な比喩で考えるのはなかなか難しいかな。種付けの方だからな、うーん、ちょっと考えてみよう。いい種をいい土壌にまくということ。)

で、そうやってできあがった作品を人に届けたいと思う。

これはなんでかよく分からんけど、やはり色んな人に読んで欲しい。でもそれは「色んな人」であって特定の人ではない。常に第三者。逆に嫁以外の身内とかに読んで欲しいとは思ってない。

とにかく親兄弟を除いたすべての人に作品を届けたい。これが第二の欲望。もっともこれは執筆をドライブするものじゃない。あくまでも執筆したあとに派生的に生まれるものだ。なのであまり小説自体には関連していないと言ってもいいかな。

ただ、これが現実を左右するとも思う。

Webを準備したり、頑張って宣伝したりとしてきたけれど、それだけじゃだめというか、鳴かず飛ばずの状態。まあ結構DLしてもらって、多分これまでの読者は軽く千人を超えてると思うけど、もっともっと広まってくれればいいと思う。

金になればいいなというのはその次。
もちろんなればいいし、それで暮らせたらいうことないけど、出版社とかが終わりそうなこの時代、そしてさまざまなコンテンツが無料化されていくこの時代にあって、なかなか昭和の文豪的な生活は思い描けない。小遣いくらいでも入ってくれればいいというのが妥当なところだろう。

今は新しい作品を書いているので、別に広めるための活動はまったくしていないんだけど、書き終わったら色々しないと。何をしたらいいかな。