小説の分類: 世界・一瞬・スタイルなど

カテゴリー: すみっこ

今の作品は今年の梅雨かその前から何となく苦しいまま続けてきているけど、その苦しさとか、書いているときの妙な居心地の悪さ、的なものの理由が何となく分かった。

それが分かるに当たって次のような呟きをしていた。
世界またはシーン – Togetter

上の呟きでは、短編と長編から世界観とシーン、つまり世界と一瞬、との対比の話をし、その上で今書いているものはどちらにもうまくはまらないと気づいた。

それが苦しさとどう関連するかというと、世界を作るなら設定をねればいいし、シーンを書きたいならそこへと何とか到達すればいい。世界は箱庭的に作れる(これは問題があるけれど今は簡略化して)し、シーンは山を登るような目標になる。前者では箱庭を満たす、というか箱庭で切り取られるストーリーを作り、後者では頂上へと繋がるストーリーを作る。

前者の例としては、トライバルレース(一巻、二巻) とか 「ある死刑囚の記録」 で、後者は 「アイスファンタジー」 や 「菜摘子の絵」 が当たる。

そのどちらかのやり方でやってきたんだけれど、今の作品はどちらにも当てはまらない。それで集中の方向が定まらなかった。うまく、エネルギーの配分ができない感じだった。先行きが見えないというか。

そこが少し見えた。ので、何というかな、書く自分の態勢的なものが少し整えられそうな気がしている。Narutoでいうと螺旋丸を作るときに影分身をもう一つ増やしたイメージ。

今の作品が何にフォーカスしているか、自分の中では言葉になっているけれども、ここでは書かないでおこう。作品の中身に触れてしまいかねないので。現在書いているものの内容はどこにも出さないのが自分のルールだから。

あと一つ。
純文学ってなんなのか分からずにいたんだけど、前に @kotoriko が実験みたいなものと言っていて、それが確かにそうだなと思いつつ、何の実験かというところで今自分では、表層の実験なんだと思っている。スタイル。だって別にストーリーとか世界観・社会性とかが問われているものじゃない気がするし。芥川賞とか。
あれはだからファッションショーみたいなものだ。ミラノとかパリとかでやるようなもの。
俺の小説はそういうものにはならなさそう。あまりスタイリッシュじゃないね、かっこよい感じもしない。

ではどんなものになるかな、分からないけれど。まあそのうちまた何か分かるでしょう。