魔術としての言葉: 詩、小説、マーケティング、その他諸々 その1?

カテゴリー: すみっこ

以下の呟きからさらにちょっと考えて。

2011/4/30 追記
[http://bit.ly/h4OTUw] と [http://bit.ly/eXIKsd] だった。

やはり言葉には現実を作る力がある。人を動かす力がある。
そういうものが俺自身はどうも苦手だった。斜に構えているし、魔術に対しての嫌悪感が強い。

詩的に飛んでいるような、浮いた言葉が嫌いだ。自分を称揚するような呪文は嫌いだ。自分を現実以上のものとして見せようとするすべてが俺は嫌いだ。人の中に、そういうタネを植え付けてしまうような言葉が苦手だ。すべての扇動するものが、俺は嫌いだということだ。

だから俺は言葉少なに小説を書いていると思う。詩的な言葉が羅列するのが、嘘のように感じるし、苦手なのだ。

それでいて小説を書く。小説は言葉で作られる世界であり、魔法の一つであるのは事実。

それと現実を現実のまま伝える言葉、それを俺はいいと思っている節がある。が、そこには限界がある。この感覚自体がそもそも虚構というか嘘だと思う。

俺の小説は虚構に過ぎない。伝える事象もすべて嘘といえば嘘だ。現実を模写したものではない。言葉によって読者の中に現実を作り上げるものでしかない。だから、そもそも足の着いた地平というのはなく、ふわふわと浮かんでいるものに過ぎない。

自分がやっていることは自分が嫌っているものとそう違いはない。

こう考えてると、魔術の種類にこだわりがあるのかもしれないと思う。とすると、どんな魔術ならよいか、というところ。

詩や何かのマーケティングとしての魔術と小説のそれとは違うのか?

分からないな、分からなくなってきた。

嘘と感じさせない、巧妙な嘘の方が好きということか? トリップしていると感じさせない、ズレを見せないような、そういう隠れた魔術が好きということかな?

まあこれはしばらく分かりそうもないので、また書く。

現実なんてどうせ言葉によって作られたものなのだから、その世界でどんなに派手なことをやっても地味なことをやっても同じだろ?という声も自分の中にはある。

あと、そっちの方に手を出すってのは何か強いドーピングをしてしまうような、そんな感覚もある。

まあこのあたり、やはり整理つかないので、このまま、もし忘れなければ次回に引き継ぎ。