今書いている作品、あともう少しだが、

カテゴリー: すみっこ

書いていて楽しい。

読んで「楽しい」作品ではないと思うけれど。
書くことの快楽がある作品。

正直言って、頭の中でできあがった地図をなぞるような書き方は楽しくない。俺の場合で言うと、トライバルレースというファンタジー系の作品は、最初に数十枚の設定を書き上げてから書いた作品だった。あれは完成させなければという焦燥で満ちた、苦行のような時間だった。設定を作るのは楽しいんだが。

海と傷は、あまり地図を作らない感じで書き始めた。大まかなものは頭の中にあった。それでも徐々に地図はできていった。さすがに700枚を超える作品になると、設定それ自体について色々と考えが浮かんでくるし、そうしないと後が怖いというかその先にあることについて少しは考えてしまう。そうして作品の裏側に書くことが増える。海と傷も、半ばを過ぎた頃にはある程度の地図ができていた。それはトライバルレースに比べれば綺麗なものではないし、入り乱れた、曖昧なものでもあったけれど、その地図に記された道を通って、その目的地に向かう感じはどうしてもつきまとった。

書いているそばから何か、新しい道が見えてくるような書き方、それはアイスファンタジー菜摘子の絵の絵の時にあった。

作品にはそれぞれ書きたいもの、こと、シーン、あるいはその他の何かがある。海と傷は主人公である大雅と菜々子に課せられる運命みたいなものが書きたかった。トライバルレースは箱庭で起きるゲームが書きたかった(終わってないんだけどね…)。アイスファンタジーは、ナオキとタクヒトの間に横たわるファンタジーそのものを書きたかった。

つまり書きたいこと、もの、しーん、があって始めるんだから、それが到達すべき点であり、目的のようなものだ。そういう目的は自ずと、どうしても、ごくシンプルであっても、地図を作る。

今書いている作品も、当然、書きたいことが浮かんでいたから書いている。その意味では地図が最初からある程度はある。それでも、これまでの作品に比してできるだけ、その目的地に到達するまでの道のりを予定しないように意識している。そうしてその道のりをできるだけ、実際に書きながら作っていっている。それがとても楽しい。書いているそばから道が開けてくるという感覚、一度も意識したことのない選択をするという感覚。インスピレーションだけで、歩を進めるという感覚。書くこと自体に集中できる感覚。

インスピレーションってのは、これは実はたいしたことではなくて、あって当然のもの。それがなきゃそもそもかけない。どんなつまらないセンテンスを書くのにも、インスピレーションは必要だ。何かが浮かぶから、それを聞きながら書く。

あって当然のものがあることに喜びはないんだが、それがずっと連続し、作品のすべてを変えていくことに喜びがある。地図を書くと、その喜びの一部が失われる。地図は骨であり、骨にのせる肉を苦労してかき集めて塗りたくったような感じがあるから。

だから俺は多分、これが俺のやりたい書き方なんだな、ってことが、この作品でよく分かったんだと思う。目的地へ到達すること自体を求めない書き方、かな。そうとは言いにくいけれども。その場その場に集中できるやり方。

でもそれは、俺が小説を書き始めた頃の書き方でもあった。初期のいくつかの短編は、訪れたインスピレーションが消えてしまわないよう、飛び起きて書いた。インスピレーションにだけ、導かれていた。

もちろん、地図を書くこと自体にもインスピレーションはある。設定は設定からわき出てくる。でも地図を書くからこそ、その後、インスピレーションが抑制されることもある。

どうしても俺は、自分の欠損を埋めるようにがんばってきたようだ。つまり、地図を書くやり方、トライバルレースで手に入れた方法は、俺が数百枚以上の大きな物語を生むためにどうしても必要ではあった。けれどもそれは、どこかで俺自身の楽しみとは乖離していた。俺自身が小説を書くことで得ていたはずの楽しみを、少し奪っていた。

自分に素直になることは、自分が何が好きであるかを知ることは、方向を決めるのと同じことだ。