この一、二年で色んな人から学んだ二つのこと。

カテゴリー: すみっこ

良いものを作ろうという覚悟や研鑽、努力、生き方

それを広める、あるいは簡単にいうと、社会的に成功するための覚悟や研鑽、努力、生き方
とは異なる。

よい作品を作る方向に自分はずっと向かってきたのだけど、それだけでは、成功には足りない。到達しない。

もっと分かりやすくいえば、商品開発と営業の両者が企業には必要ということと同じ。どちらが欠けても企業は立ちゆかない。どちらも同程度に、少なくとも世間一般の合格点レベルで、必要なのだ。

成功のほぼ9割は運だと思っているところもある。残り1割は、営業のための努力。まあそう言い切れるか分からないけれども。

同じように、多分、よい作品、よい商品を作るためにも、9割近くは運なんだろう。すばらしい作品の着想を得られるか、その着想を育てられるか、それが可能な生活を送れるか、そもそもそういう方向に向かう人間になるか、よい過去の作品にふれあえるか、といったところから運が大きくかかわっている。そして残り1割くらいが、努力や覚悟、研鑽なんだろう。

どちらにしても運だが、その運を掴むための努力や覚悟や生き方は、成功というモノを得るためのそれと、良いものを作るためのそれとでは異なるわけだ。

と、こう書けばごく簡単なんだけど、ずっと「良いものを作ればどうにかなる」と思っていた。成功の側の努力をせずとも、良いものに到達しさえすればよい、いつか何かがやってくる、と。それだけでなく最近は、成功に至らずともよいとも考えていた。よりよいもの、本当に納得できるモノ、そんな作品に至りさえすれば、きっと満足できるし、実際書いている瞬間というのは楽しいから、書き続けられさえすればいいんだ、そう思っていた。それ自体は今もあまり変わってない。

けれども他の人のさまざまな例を見ていて、何かを作るためにいくら時間を費やしても、あるいは全然費やさなくても、それとは関係ない成功もあり得るのが、よく分かってきた。当然、それと深く関係する成功もある。どちらもある。どちらか一方しかないなら、分かりやすいけれど、どちらも同じようにあるなら多分、時間を費やすかどうかは主要な要因ではない。

もちろん、これまでやってきたことを捨てるとか変えるとかやめるとかではない。どちらかといえば、きっと「付け加える」ということになる。

あぁあ、それでもきっと、大きな変化になる。生き方にかかわる。ちょっと大変そうな感じもする。でもしょうがないかな。もっとたくさんの人に読んでもらいたいよ、自分の小説。そうして印税ってモノも貰ってみたいよ。

まあそんなありきたりな野心みたいなモノも、この体のうちに巣くっているのだよね。そしてその野心が、どうすべきかを決めるかな。まあそういうことかな。

小説書いて、読んでもらいたくないって人は、多分存在しないからね。そして俺も無数の人に読んでもらいたいんだよね。

それが一番の願いかどうかは微妙なところだけど。良いものを書きたい、それが多分一番だけれど、それに今のありきたりな野心はついて回るんだな。届けたくなるから。