語源はラテン語の “mora”「遅延」、”morari”「遅延する」である。

カテゴリー: すみっこ

僕はとある個人事業をして生きているんだけど、今月は法人を設立してた。その関係で、一月下旬から書きはじめた小説が滞っている。

小説が夢の中でやる仕事だとして、金を稼ぐのは現実の世界での仕事で、僕はいつもどこかで前者を優先してしまって、これまでうまく生きてこれなかった。経済的・社会的に。もっとも自分自身としては納得していたし、今もそれは変わらない。

結婚当初、つまり9年前の今くらいに出会った妻との生活を安定させるのに、小説を書く手が止まった。約二年、何も書き上げなかった。書き始めて捨てる気もないのに止まっているのは、そのとき以来かもしれない。

その二年は、生活の諸々もあったが、アイスファンタジーという作品を生むために必要な時間でもあった。あれは、僕にとっての大きな壁だったから。

今回も忙しくなるタイミングと、少し詰まり始めたタイミングは重なっていて、もう少し調べ物をし、考えを深めないと進まないなと思っていたところでもあった。

(壁、もっと経験するようにしないとダメだったかな。僕はどこかで、壁を迂回しなかったかな。今、少しそれを考えた。これからは、死ぬまでできる限りの壁を経験するように、自分の向きを見定めないといけない)

仕事がうまくいけば、現実は楽になる。経済力がつくから。そして、人生で初めてというくらいそれらしき場面に来てもいる。金の匂いのようなものを少しずつ、嗅げるようになってきている。そうして現実そのものとの関わりがどんどん強くなっていく。

けれどこの先、どんなに金持ちになったって満足できないだろうと思っている。どんなに偉くなったって、満足できないだろう。総理大臣になっても、アメリカの大統領になっても、僕は、心の底にむなしさのようなものを抱えていると思う。

権力の魔力について、以前とあるパーティで同席した政治家が語っていた。曰く、自分からやりたいという人は立候補させちゃいけない、と。虜になるからと。

強烈なドラッグだろうなと思う。僕も、ちっぽけな同業者の会の役員みたいなものになったが、そのときからごくわずかにそういう気持ちよさが体に流れるのを、否定しきれない。そう思うと、数百人をこき使っている社長は毎日軽いエクスタシーを覚えるだろうし、数万、数十万の市長にでもなれば人々の視線からエネルギーを光合成できるだろう。総理大臣に至っては、どんな快楽の中に身を置くことになるか想像もつかない。

アイドルも一緒だ。アイドルになるのは、政治家もそうだけど、衆人環視の中で生きる訳で、非常に高コストな取引だと思うけれど、それでも人は、自分が愛されることを心の底から望んでいる。

愛も権力も、ドラッグのようなものだ。手放すことはすごく難しい。手に入れた瞬間からきっと、前とは同じでいられなくなる。

でも僕はきっと、エクスタシーを覚えながら、これじゃないと思うだろう。俺が求めているのはこれじゃない、そう思うだろう。血に混じったヘロインが静脈に吸い込まれていった瞬間の、体が浮くような感じを、僕は小説を書くそのときに、覚えてきたから。それが奥底から満たされる瞬間だと知っているから。

人は最初のエクスタシーに支配される。最初の恐怖も、最初の屈辱も、同じように作用する。最初のものに僕らはどうしても左右される。それが記憶に支配されるということで、僕らはピンクがかったクリーム色の脳みそに何かを刻印される。様々な快楽と恐怖とを。だから僕は、人生で最初に得たエクスタシーに左右されて、一生書いていく気がしている。決意でも何でもなく、僕という存在への意気込みでもなく、単にすでにそうであることを知っている。

そうはいっても僕はげすな人間でもあるので、現実をある程度は優先する。爪に火をともすような日々を求めてはいない。自己破壊に突き進む若者の儚さと死と怒り、日本人の思い描いてきた美の極みが潜んでいるような人間ではない。僕は、一仕事終えた夕暮れには額にギトリと脂を浮かべる中年男にすぎない。

それでも書きたいな。すべて放り出したいな。この世界は熱中できるけれどつまらない。それがいつも、現実がくれる感覚。でも二つの棺桶にそれぞれの足を突っ込んで、このまますすむしかないかな。ならもっと夢の方もがんばらなきゃならないかな。

だからこの文章はたぶんいいわけ。書いていないことへのいいわけ。夢に入り込まずにいるモラトリアムのいいわけ。