アイスファンタジー 第三十三話
七月七日 月曜 深夜
「あの日、日付まで覚えてる、小学校四年の二月七日だった。すごく晴れてて今でもはっきり思い出せる、空気がすごく透き通ってて何て言ったらいいのかわかんないけど、とても特別な日だって思った。釧路の冬って乾いてるでしょ? あんまり雪も降らなくて冷たくなっていくだけって感じで。俺ね、それがいつも純粋になっていくって感じてて変かもしれないけど、寒ければ寒いほど、好きだった」
「俺もだよ」
「あの日もそんな日。空気が冷たすぎて息するたびに肺が痛くって火傷するような感じで」
「うん」
「覚えてる?」
「晴れてたのは何となく覚えてるよ」
「その前の日にタクが帰るとき、明日倉庫谷に行こうって約束したんだ」
「倉庫谷って俺が名前付けたんだよな?」
「そうだよ。思い出してきた?」
「一番上から二十歩行った右側の壁にあの穴があったんだよな?」
「そうそう! で俺、すげー楽しみで眠れなくてさ。だって夏は全然うまくいかなかったじゃん。草がぼうぼうで入れるように見えなくてさ、でも俺ずっと気になってて絶対あの中は広くて俺らの秘密基地になるって思ってて、でもタクは興味持ってくれなくてさ、冬になってもう一度見に行ったら穴がはっきり見えてて入れそうだったから」
「ああそうだったな。何となく思い出してきた」
「ほんと? でね、その前の日は母さんはいつもどおり夜遅く帰ってきて、俺の頭撫でてから寝て、それからいびきが始まってしばらくしてやっと眠れたんだ。で、朝起きたら窓から顔に光が直接当たるんだけど、それがすごい白い光で目が覚めたとたんに今日はあの穴に入れるなあって思った。絶対できるって。で母さんを起こさないように起きてジャージを二枚重ねて穿いて、それからメロンパン食べて牛乳飲んで手袋して帽子かぶって家を出た。それが七時半くらいだった」
ナオキはタバコをもみ消して俺を見、思い出せそう? と聞いた。俺はラッキーストライクに火をつけて一息吸い込み、「前の日のことは全然思い出せそうもないな。でもなんとなく思い出してきてる感じはする」と言った。
「じゃあ倉庫谷で壁に登ったのは?」
「俺が先に登ってナオキのこと引き上げたよな? さっきから、ナオキの手、引っ張ってる絵が浮かんでるんだ」
「そうそうタクに引っ張ってもらったんだ。でもさ、タクは俺が着く前にもう登ってんだよね。すげーずるいって思った。いっつもそう、自分のことばっかで人に合わせるのが下手。悪気はないのはわかってたけど、子供なんだよな、どうせ先にタクが登ることになるとは思ってたんだけど」そう言ってナオキは笑う。
「でも俺入り口で待ってた、確かそうだった。穴の入り口に腰掛けてナオキのこと見てたよ」
「それはさ、意気地なしだからでしょ?」
「よく覚えてないけど、一人にするの嫌だったし、ナオキが来て俺がいなくて、まだ来てないって誤解されたら嫌だなとか考えた気がする」
「そう? タクがそんなこと考えたの? なんか腑に落ちないな。タクがものを考えるなんて。あ、今の話じゃないよ」そう言ってナオキはニヤニヤ笑う。
「あの頃なりにはな」俺はナオキを小突いてそう答えた。
ナオキは「そっか」と言ってタバコを吸い込み「で、俺もあの穴に入った」と声を落す。
「中に入ると真冬なのに空気が暖かくて変な感じがして帰りたくなった。そしたらタク、進んでっちゃうんだ、何も言わないで。俺行く気になれなくて待ってほしかったからタクのこと引っ張ったんだけど、全然止まってくれなくて仕方なく付いていった」ナオキはそこで言葉を切って俺を見る。
「それから?」
「それで何mか進んだらタクが壁だって言って先に進めないって言った」
「それから?」
「その辺はもう暗くて、俺も壁に触りながら本当?って聞いたら、タクが壁を叩いてそれが外れて向こうに倒れてすごい音がして狭い部屋の中に出た」
「思い出せないな。てか、そこから引き返したんじゃないの?」
「んなわけないじゃん」
「でもさ、いつも外で遊んでたし、引き返してどっかに遊びに行ったんじゃない?」
「タク、俺のことバカにしてる? そんなんならこんなこと話す必要ないじゃん」
「そっか、それもそうだな、ごめん」
「そうだよ、特別な日だって言ったでしょ? しっかり考えて」
「わかったよ」
「続けるけど、俺たちその中に入ったんだよ」
「で?」
「思い出せない?」
「うーん、そうだなぁ、そう言われればなんか壁ってか、ベニヤ板?かなんかがあってそれ押したり叩いたりしたら動いた、うん、そんな気もするな」
「そしたら?」
「そしたら? 何か部屋みたいなところに出て、そうだな、誰かいた?」
「そう。すげー背が高くて筋肉質な感じの男」
「そこまでは覚えてないな」
「タクが怒鳴られたのに?」
「そうなの?」
「何だお前?って怒鳴られたんだよ」
「なんか怖かった気はするけど」
「じゃ、それからどうしたか覚えてる?」
「いや。逃げたんじゃない?」
「んなわけないじゃん。それじゃさっきと同じじゃん。もう何で思い出せないかな? そこから先が大切なのに」
「全然ダメだよ、思い出せない」
「もう。とにかくその男がいたんだ。そうだな、イメージとしては北斗の拳のケンシロウみたいな感じかな。強そうで、でもとても寂しそうだった。そいつが俺たちに何だお前ら、どうしてここにいるんだ?って言ったんだ」
そう言ってナオキはタバコを深く吸い、ゆっくりと吐き出し、こう言う。
「そいつが俺を男にしたんだよ。俺はそれまで女だったのに」
「どうやって?」
「それが一番思い出して欲しいとこなんだけど」
「見当もつかないよ」
「そっか、もう少しかかりそうだね。じゃそのことは後にするけど、とにかくそれからなんだ、自分が男になったって意識し始めたの、それまでは女だと思ってたのに。女なのに男にされたって。変な感じだった。ちんこがあるのも変な感じがしたよ。俺は女の子なのになーって」
「俺、ナオキが女だなんて考えたことないよ。きれいだって思ったことはあるし、今もその辺の女よりずっときれいだって思う」
「なにいきなり? 今そんな話してないじゃん。くどいてんの? さっきしたばかりなのに?」そう言ってナオキは嬉しそうにニコニコしながら俺の手に触れた。
俺はそれを払って「そうじゃなくて、お前のこときれいだと思ってたけど、でもそれは女として見てたわけじゃないって言いたいんだよ」と言った。
「そう?」
「一度も思ったことない。女に生まれてればよかったかもしれない、と思ったことはある。実際さっきも。それに多分ガキの頃も何度か。もしそうだったら俺ら一緒になったかもしれないとも思う。でもナオキは男で兄弟のようなものなんだから」
「だから何?」
「だからお前は女じゃなくてずっと男だったってこと」
「タクわかってない。まだ思い出せてないからだ。その男が何したのか思い出せば、俺が女だったってわかる」
「じゃあ何されたのさ?」
「それは言いたくない」
「どうして?」
ナオキは煙を吐き出し、タバコを消して俺の右手を両手で握り、俺の眼を見つめて言った。
「タクに思い出して欲しいんだ。そのこと、絶対ほんとのことだってタクが確信できるように思い出して欲しいんだ」
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